手を振ってさようなら

 

私には二人のおじいちゃんがいる。そして二人とも既に亡くなっている。父方は私がまだ5歳の時、そして母方はつい4ヶ月前、私が成人して間もなくに。

父方のおじいちゃんとの記憶は、仕方のないことだが、あまりない。台所でたばこを吸っていた姿と、陶芸小屋でおじいちゃんの隣で粘土を触らせてもらったこと。ろくろには触るなと言われたこと。聴診器をつけさせてもらったこと。

父方のおじいちゃんは病気で亡くなった。発見された時には手遅れで、入院して1ヶ月も経たずに亡くなった。だから一度しかお見舞いに行けなかった。好物だったトマトを持っていったのに、「今はいらない」と一口も食べなかった。最後に病室を後にする時、体を起こして手を振っていた。

母方のおじいちゃんもまた病気で亡くなった。こちらは数年間透析生活で自立型の施設みたいな所で普段は生活していて、私達が帰ると一緒に家に連れて帰った。おじいちゃんとの記憶は、おじいちゃんが元気だった頃から施設に入った頃まで、たくさんある。忘れないようにまた書こうと思う。

初夏の頃、おじいちゃんは入院した。ちょっと数値が怪しいから検査、その程度の入院だった。けれどそれから数週間したある日、今すぐ喪服を持ってこちらに来て、と呼び寄せられた。駆けつけた病院で、おじいちゃんはいくつもの管に繋がれて、呼吸器をじゃまそうにしながらやっと会話する状態だった。

私達はおじいちゃんが長くないと分かっても、おじいちゃんの元にずっといることはできなかった。亡くなったら葬儀やその準備もある。みんな仕事や学校のためにひとまず戻らなければいけなかった。じゃあね、おじいちゃん。またすぐ戻ってくるから、それまでにもう少し元気になってね。そう言って病室を後にした。起き上がる元気もなかったのに、黄疸してむくんだ腕を肘から起こして手を振ってくれた。おばあちゃんが冷えるからと腕を布団にしまったら、また手を出して振った。ばいばい。

それが生きているおじいちゃんに会った最後だった。

あの手は私達にさようならと言っていた。父方のおじいちゃんも、母方のおじいちゃんも、本人達が意識しないまま、最後の別れを告げたのだ。意識よりももっと深いところで、もう会わないと分かっていたのだ。

次に誰かが力なくふらりと、しかし確たる意思を持って手を振るのを見たら、その場から動けるかどうか分からない。でも、きっと動くんだろう。その場から背を向けて、どこか遠いところで泣くのだ。なぜなら、亡くなる人以外は、生きていかなければいけないからだ。それが残された私達の、一番つらい仕事なのだ。