おじいちゃんが生きていた頃


祖父が亡くなって100日あまりが経った。小さい頃から私をかわいがってくれ、いつもにこにこと笑っていたおじいちゃんはいなくなってしまった。博識だったおじいちゃんから何かを教わることは二度とない。

そして、残念なことに、私とおじいちゃんの思い出もまた、月日とともに薄れていく。なので、おじいちゃんとの思い出を書いていく。

以下は、おじいちゃんがもう長くないと分かってからおじいちゃんが旅立つ日までの間、1日1つずつ書きためていったものをまとめたものです。おじいちゃんの残り少ない日々を一緒に過ごせず、大学やバイトに行くしかなかった私が、途方のない恐れと悲しみのなかで書いた、おじいちゃんとの幸せな思い出です。

私の成長を心から喜んでくれたおじいちゃんに捧ぐ。

 

おじいちゃんは果物の皮を剥くのが上手かった。トウモロコシの種を一つずつ剥がすのも上手だった。特に後者はおじいちゃん以外にはできなかった。私はおじいちゃんの隣に座っておじいちゃんの剥いた果物やおじいちゃんが剥がしたトウモロコシをぱくぱく食べるのが好きだった。

 

おじいちゃんはお酒が好きだった。いつも飲んでいたのはウイスキーで、日本酒やワインも好きだった。おばあちゃんは健康のために控えろと口を酸っぱくして言うので、寒くない時期おじいちゃんは隠し部屋めいた書斎でのんびり飲んでいることがあった。私はよくそこで昼寝をした。

 

おじいちゃんは鳥が好きだった。家の庭の岩に板を置いて、その上に古いお米を撒いて雀が啄むのを楽しそうに眺めていた。弟の入学式でこちらに来てくれたおじいちゃんと手を繋いで駅まで行った時は、見かける鳥の名を全部教えてくれた。おじいちゃんはとても物知りだった。

 

おじいちゃんは料理が上手だった。魚や貝を捌くことができたし、鮟鱇の共和えやイカの塩辛を作ることもできた。足腰が弱ってからは台所に立つことも少なくなったが、ある日思いついたように台所に行ってうどんを茹でてくれた。おそらくおじいちゃんの最後の料理がそれだった。何年も前の話。

 

小さい頃はおじいちゃんの布団に潜り込んで寝るのが好きだった。おじいちゃんからはおじいちゃんの匂いがした。おじいちゃんはよく寝かしつけに昔話をしてくれた。一番印象に残っているのは舌切り雀だが、他にも色々な昔話をしてくれた気がする。

 

おじいちゃんはつるりと禿げていた。私が小さい頃おじいちゃんは「(私)の髪はつやつやしていていい髪だね。おじいちゃんはね、(私)が生まれる時に(私)に髪の毛をあげたから禿げているんだよ」と言っていた。しかし何年も後になって分かったことだが、母も小さい頃同じことを言われていたのだ!

 

おじいちゃんは教師だった。鷹揚な人柄から生徒に慕われていてバレンタインには紙袋数袋ほどのお菓子を貰っていたそうだ。朝礼での話もまとまっていて面白かったと聞いた。おじいちゃんの教師姿を見てみたかったなあと思う。

 

おじいちゃんは去年の秋頃に入院した時にぽつりと「トマトが食べたい」「カステラを食べたい」と漏らしたそうだ。トマトは確かに好物だったがカステラを欲しがるとは!家族みんなで不思議がり、その年の冬はおじいちゃんを一時帰宅させてみんなでカステラを食べた。

 

(ここまで)

 

おじいちゃんが亡くなる時、私には何となく予感があった。母から電話がかかってきた時、私にはもうその内容が分かっていた。そのことが、無性に悲しかった。

おじいちゃんはこの世にもう執着がなくなったんじゃないかと思う。出棺の日も、お葬式の日も、びっくりするくらい綺麗に晴れていたのだ。

不思議だなあ、と思う。いつかこの不思議な気持ちがなくなった時、おじいちゃんはあちらの人になるんだろうか。今、無性に森絵都の『ラン』を読みたい。