教育のこと

私は教員になりたかった。
学校はあまり好きじゃなかったけれど、数少ない、教え方が好きな先生のようになりたかった。だから、何年も教員を志望していた。
大学受験の時、通っていた塾に深入りしすぎて知らなくてもいいことを知ってしまったり理不尽に傷つけられたりしたトラウマから、私の気持ちが教育から離れたのかもしれない。そもそも深入りするほど塾に入れ込んだ時に、私にとっての教育が大学受験教育とほぼ同義になったので、大学受験に絶望することは教育に絶望することと同じだった。
予想問題と称した問題が毎年使い回しだったこと。その講座を、「取らなければ後悔する」と勧められたこと。講師の雑談で講習を延長され、入試を前日に控えた友達が夜遅くになってクタクタに疲れて帰っていった背中。風の便りでその子の浪人を知った。
粗相をした講師(A)に可愛がられていたという理由で、Aと決裂した講師(B)に理不尽に暴言を吐かれ、何ヶ月もトラウマになるくらい傷つけられたこと。確かに私はAに可愛がられていた。お世話になった。大好きだった。でもBの授業もずっと取っていたしクラスでも頑張っていた。認められていたとは、思う。自分の頑張りを否定されれば傷つく。頑張っていることだけが私にとっての私の価値だったから。
あとは、お世話になった先生(上の2人とは違うのでCとする)や自分の身内が、良い教育者であったばかりに仕事を抱え込み、体を壊したこと。

教育は、教育事業は、大規模にしなければ良い先生を集められない。
また、大規模にしたところで、良い先生に大人数の生徒の仕事が集まる。そして、全ての生徒が良い先生の授業を受けられるわけでもない。
良い先生がずっと勤めていると、利権問題が生じる。先生が権力を振りかざすのだ。
私は教育に憧れていた。私の人格は教育によってつくられた。
だから私は、学校教育の最後の時期になって、他の生徒よりも多くのものを知ることになった。素晴らしいものもあったし、目を塞いで嘔吐したくなるようなものもあった。そして、私は自分の理想が分からなくなった。何が一番良い形なのか、どうすれば努力した人全員が幸せになれるのか分からなくなった。
だから私は、教育に携わる夢から逃げた。そのことを、忘れることはないと思う。出会った素晴らしい教育者達のことも、教育というシステムの暗部も、それに負けてしまった自分のことも。